固定概念
レッテルって貼るのも貼られるのも怖いと思った出来事が最近会った。それは、実際にそうでなくても、相手からの影響でそう思い込んだり、その方向に向かって行く危険性を大いにはらんでいるからだ。どんな時も援助するのは子ども。そのためには…?親としてそれこそ周囲からレッテルを貼られちゃうかもしれない。けどきっと見てくれてる人はいるはず。子どもを援助しないで子育てなんて言えないのかも。
公共の場所にいくと、皆で仲良く遊びましょう。というのが共通の概念なことが多い気がする。でもそうやって、初めからできることが当たり前の考え方で取り組むから、出来ない時に悩むので反と思う。子どもは社会性も人間関係で学んで行くのだからできなくて当たり前、出来てパチパチ。できるのが当たり前だと思うからできないことでマイナス換算になるんだよ。
そんな風に言ってもらえて、私は心が軽くなった。
「子どもと大人は対等。」「子どもだからわからないなんて思うのは子どもに失礼。言い方は適切じゃないかもしれないけど、子どもは不器用で障がい者。ただ出来ないだけ。だから経験という訓練?を積んで大人になっていく。」という表現の仕方もとても腑に落ちた。
自立と甘やかし
親が子どもをつくるわけではなく、子どもが親を作る。母親と子どもの年齢は同じで、子どもと親が同時に成長していく。大人が変わらなければ子どもは絶対変わらない。
甘やかし
・頼まれてもいないのにしてあげること
・子どもが苦労や失敗しないように先回りしてあげること
・誰かが私を助けてくれるはずだという信念を持った人が甘やかされた人
自立するとは
責任を持って暮らすこと。他の人と協力しながら自分の役割今すべきことをして暮らすこと
・子どもを自立させる→不可能
・自分が自立する→可能イメージは、家族の一員として引き受ける役割をしっかり引き受けてもらう。社会の一因として取るべき責任をしっかりとってもらう。
勇気をもつ
今日、生まれて初めてと言っていいくらい息子が自分の気持ちをコントロールできないとうった行動をみた気がする。自分が遊んでいるおもちゃをちょっと小さいお友だちが無遠慮に近寄ってきて遊び始めたのを見た息子は「ダメー!」と。周りが双方を止めようとするも暴れて抱きしめても嫌だーと自分でもどうしようもないという様子で、暴れて気持ちを表現していたように思う。そんな息子を抱きかかえながら、私も泣きそうになった。こんなに表現したいことをためていたの?お母さん受け止めてなくてごめんと。
“破壊的な行動は勇気を挫かれた結果であって勇気のある子どもはしない”この言葉が何度も頭をよぎる。私は毎日息子の「勇気」をくじいているのだ。「勇気」をもつとは、この世界は安心できる(小さい子の場合は)家族は仲間であり、自分はダメな子じゃない好かれている、価値のある人間だと思ってもらう、そういうこと。不適切な行動は不適切だと思った時点で負の注目(負の感情を持つこと)をしてるから、負の注目からは子どもに「勇気」をもってもらえない。
その通りだその通りだ…と頭の中で何度もリフレインする。
私は、子に「勇気」をもっててもらうように決心しないといけないんだ。同時に私も「勇気」をもたなきゃ。
テレビメモ
先日NHKで放送されたテレビの素敵な言葉メモ。
子育てとは、子どもに自信をもたせること。そのためには、自分で行動するきっかけを与えること。そして、最終的には子どもに人生の目標を見つけさせること。
子には自分の気持ちを言葉ではっきり表現して欲しいし、自分(親)たちがいうことを理解してほしい。だからうちではしつけの一つとしてわめくと相手にしてもらえないと決めている。が、子の意見ばかり優先出来ない。だなら、子自身がそうしたくなるよう話し方を気をつけている。
希望を伝える方法を学ぶことが大事。子に言葉をもたせる。要求を出させる。自分で言ったことに責任をもたせる。 その為には子自身に考えさせる。子のすることを親は聞く、待つ。必要だと思ったことは叶える。これはやっていいこと・悪いいことと自分で自分を律すること→自律
日本には以心伝心の文化がある。それはそれで尊重するけど、親の気持ちは子どもにも分かるはずだと思うのは違う。 コミュニケーションの力。 価値観の違いは認めるけど否定はしないこと。 その訓練。
セルフコントロール出来る力を養っていく。 子どもが泣くということは、子どもが不快な状態にいるということ。親の役目は、不快な状態から快の状態へ戻してあげること。何度も親が助けてあげることで子ども自身が自分で回復できる力を養う。それがしつけ。