尊敬する

 今日はアドレリアン仲間が我が家にきて子どもたちと遊んでくれた!そこから、今まで学んだことは知識としてしか学べてなかったんだなってことを再認識。対応をみていてわたしもたくさん勉強になったし、何より息子がとても楽しそうだった!おばちゃんとあそんでたのしかったね〜と自ら教えてくれたし!
 人は存在してるだけで尊きもの、尊敬に値するもの。だから子どもにだって尊敬しなきゃいけないし対等な存在。でも実際できてなかったんだなぁ〜。だって子の行動にいらいらすることもあるもの。勿論仏様じゃないからそれも人間だとは思うけど、例えば子どもの行動(わたしがイライラする)。子どもだと思うからイライラする反面もぬぐえない。じゃあこれを私が尊敬してる人がやったと思ったら?その人にも同じ対応をする?いやいやしないよね。…と、これが私の中で一番イメージしやすかった。そう考えるとあら不思議。マイナス感情もどこかへいってしまうのです。これはすごいわー。同様に夫にもこのように考えてみることに。これでしばらくやれそうな気がしてます。
 そして、参考になったのが、楽しそうに遊ぶ兄に忍び寄る妹の対応の仕方。兄は、「こないで!」「今使ってるから!」と必死に着てほしくないと戸を主張するも、妹はわかるはずもないのでどんどん攻める。それで息子の手が出ちゃうんだよね〜。とめても早い早い。その方は、近寄る度に娘に「じゃあこのおもちゃ渡してみようか」と息子にさせてた。これはいいかも!いいかも!
 何か問題が起きた時(妹を乱暴に扱うとか)、その問題に注目しがちだけど、その問題が起きた時はもうすでにそのことに関してはそこで対応するには遅くて、なんとかしようとジタバタしても効果なし。そこでさっきのイメージ(尊敬してる人に置き換える)がきいてくる。そんな気持ちで対応してると、勇気づけ(人々は仲間、私には能力がある)に繋がるし、勇気がある子は謝れる、やめられる、友だちと一緒に遊べるのです。問題行動に直面したら、日頃の私の勇気づけが足りないんだな〜とまた日頃の接し方に精を出すしか解決策は見つからないと思うんだな〜。問題起きたその場では何しても効果ないよ。
 あと、差別とかではなくて区別として、男の子と女の子はやっぱり違う。男の子育児は男の子育児をしたことがある人にしかわかりづらい、やんちゃさ元気さなどの大変さがあるとも(その人は兄弟ママ、すでに成人してます)。その辺も覚悟して接したほうがいいとも言ってたー。はいがむばります。